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2023-04-30

【老いは究極の断捨離】メルカリは非効率?いいえ、人によります。

Hibiya Park in Spring

万年断捨離アンは今日も不要品に目を光らせている。

といっても、同居人と暮らす今そう勝手に、自由に、何でもかんでも捨てられる状況にはない。

そのうちに、大いなる言い訳だとは知りつつも、だんだん目が慣れて自分自身の物もどんどん増えていく。

そんな中でもよし!と思い立ってごそごそクローゼットやら棚やらを漁り、せっせと要らないものを掻き出せる日という断捨離大安吉日デーがたまに訪れる。

思うんですよ。

メルカリで売るって非効率な面もあるけれど、それだけを理由に売らないのは私にとって少し寂しいなと。

 

最近のミニマリスト系啓発本を読むと、フリマアプリで売るのは出品、取引、発送の手間がかかり自分の時間と労力、売れるまでの間保管しておくスペースが勿体無いからやめるべし、という主張をよく見かける。

確かにそれも一理ある。

ただ自分に当てはめて考えると、それが全てとはならない。

リソースを使ってまでメルカリで売る理由、それは。

せっかく(一応)吟味して買ったのに、結局手放すことになってしまった遺恨を晴らしたいからだ。

そしてその物自体に罪はなく、その時の自分にとっては不要だとしても他の人にとっては価値と意味があるかもしれない。

ただただ消費するだけの世界に疑問を覚えている。

そんなところだ。

東京に引っ越してからはなんと「一辺が30cmを超えるものは粗大ゴミ扱い」という自治体のルールがあり

ちょっとした物、例えば突っ張り棒や大きめのまな板もお金を払わないと捨てられないというのも大きい。

お金を払ってまで捨てる<必要な人に少し手間をかけて譲る。

これが勝つ。

ところでおそらく自分は捨てる快感に依存していると思う。

捨てると本当にスッキリした気持ちになり、すべきこと、考えることがクリアになる。その感覚が病みつきになっている。

でもせっかくクリアになっているのに先延ばしの悪癖が発動してしまうこともよくある。(というかいつも?)

そんな時決まって断捨離お化けになるような気がしている。

ほどほどにしないとなぁ。

Nemophila

良い考え方に出会った。

老いというのは、健康、体力、記憶力など数えきれないもの、すなわち若さを失っていくこと。

でもこれはミニマリストの究極でもあると。

病に襲われるかもしれない、外見の美しさは衰えるのかもしれない、記憶の引き出しは開きづらくなるのかもしれない。

でもそれはある意味身軽さの象徴で、色々なものを手放すことで得ているものもたくさんある。

これは、強がりでしょうか。

たとえば何を得ているのでしょうか。

その答えは自分が一番よく知ることになるのだと思う。




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