ぎこちない俯瞰
東京に来てから1年とちょっと、生活の基盤をまずはしっかりさせたいと思いフルタイムで料理以外の仕事をしていた。
料理の仕事は土日に限り、生徒さんのリクエストと共に動いていた。
パンデミックに見舞われてから、福岡でなんとかかんとか築き上げていた私のワークライフスタイルなるものは、ゆっくりとしかし確実に崩れていったのは事実だ。
と同時期に、自分の取り巻くささやかな世界が目まぐるしくランダムにシャッフルされていった。
「それ」は特に望んだわけでもなく、必然的かつ抵抗不能な地殻変動のようなものが起きている地上の小さな陸地に、ただただ必死にしがみついていただけの状況と表現した方が正しいだろう。
結果、目に映る景色がまるっと変化し自分はものすごく変わったような気もする、でも特に自分の内部感覚は今までというか小さな頃から何も変わっていないとも感じているのだ。
肝心の約8年ぶりの東京暮らしである基盤は整ったのかというと、それなりにスムーズに回るようになっていた。
もう2度と東京でなんか暮らしたくない、と一丁前に疲れたふりをした8年前の小娘は、
そこからさらに地に突き落とされる経験を何度か経て、ようやく少しはマシな大人になった今東京はとても可愛い街で暮らしやすいという率直な感想。
変わらずプールで泳ぎ、ホットヨガをして、音楽を聴き、働いて、日々の晩酌を豊かなものにするべく生きている。
ただ冒頭に書いたフルタイム仕事に尽力しているうちに、やっぱり料理を教える仕事と文章を書く仕事をもっとしたい!しないと自分の中の一部が確実に死ぬ!というかもう既に死んできている!と危機感を覚え、
最近ペースダウンして、2つの(料理、文章)仕事に再度向き合っているところ。
そんなわけで今日この記事を書いています。
この1年、何度も何度も何度も、投稿ページを開き数行書いては削除する、ということを滑稽に繰り返していた。
もしこの記事が投稿されたのなら、大袈裟は承知で私は私に小さな拍手を送りたい。
もう二度とこんな風に何かを書くことはできなくなってしまったのでは、と真剣に悩んだ時期もある。
自分が自分ではなくなってしまったような外からは見えない一抹の恐怖。
パンデミックと地殻変動の最中、自分の未熟さをまざまざと目にしたし、人を傷つけもしたし、饒舌になど語れない時間は自分の内部を再構築するに必要な期間だったのかなと、ようやく最近思えるようになってきた。
何かを手放して何かを手に入れるというのは世の常で、ペースダウンしたおかげでやっとここまでキーボードを叩くことができている。
このHPやストアカは、期間が空きすぎたのでこれから色々と手直しをする必要がある。
ブログは今後、生きていくためにも自分が使ったもの(キッチンツールはじめホットヨガ、水泳関連等々)の商品レビューなども増やしていく予定なのでどうかお付き合いを。
一体第何章なんだろうという日々をまた迎えている、のだと思う。ぎこちない俯瞰しかまだできないけれど、これで十分だろう。
あと4ヶ月と少しで父が亡くなった年齢に追いつく。世間を知った気でいた生意気なのに臆病な小娘よりもっと昔に、私は父が実現できなかった色んなことの分、たとえ上手くできないことばかりでもいいから、精一杯毎日を過ごすと決めた9歳の自分を今もう一度忘れたくないのだ。