引越しは究極の断捨離チャンス、から見えるもの
引越しは究極の断捨離チャンスだ。
部屋が狭くなったせいもあるが、それまで部屋にあった物質量の2割は手放したと思う。正直驚きだ。
気合を入れて捨てる時は、これを例えば引越しの時に新居へ持っていきたいか?と自問していたはずだけど
いつしかその感度も鈍っていたのだ。
惰性と妥協で使い続けていたものもある。
当然買い替えたりするには費用もかかるので仕方ない部分もあるけれど、もっと無駄を減らして生活環境に投資していれば良かったと荷造り中に反省するのだ。
それでも本当に必要なのかどうか判断に迷った時は
「アクティブに使用しているもの以外は、基本全捨て!」という考えを採用した。
単純なことなんですけどね…
使っているのか、そうでないのか、ただそれだけなんです。
いつか使うかもしれない、は断捨離アンにはタブーなのです。まじで。
私が溜めがちだったのは、百均とかで買った突っ張り棒やカフェカーテン、プラスティックの収納グッズ(ボックス、ケース、仕切り)など。
あとはちょっといいお菓子や雑貨が入っていた箱類。あるある。笑
一見すると片付けをするのに必要なものであり、今は使っていないけど今後収納の見直しをした時に使うかも、と思い捨てられなかった。
でもそれらもだいぶ減らすことができました。
だって、そもそも物が少ないのに収納グッズいる?てことです。
収納グッズがあるから、そこに空間があるから、物を入れたくなるのが人間の心理なのですね。
賃貸に住んでいる以上必ず家賃を払うわけで、その家賃は自分を含め空間や物質にも払っている。
よく言われることだが、それらは払うだけの価値があるか?を見失いたくない。
去年から何故か映画タイタニックが私の中で再燃しているのだけど、
その中でジャックが言うのです
「健康な体、紙とペンがあれば生きていける」と。
ローズの母親に「そんな暮らしで満足してるの?」といじわるな質問をされた返答がこれです。
人の価値観は本当に人それぞれであり、押し付けてはいけない。
今向き合うのは、あったら使うけどなかったらなかったで困らない。という物。
これですよね。。
自分なりに一生懸命考えて買った物でもあるので、その労力を無駄にしたくない気持ちと葛藤するのだ。
当然私にも捨ててから後悔することもある。
その度つくづく思う。先のことは誰にも分からないと。ちょっと先にこの物を自分が使うかどうかすら分からないのだ。
だからといってグレーな物全てとっておくのかといったら、それは現実的ではない。
福岡にいたある時期、ひたすらとにかく物を捨てていた時期があった。
だけどその時は捨てても捨てても、削っても削っても心が晴れなくて途方に暮れていた。
世の中的には断捨離は人生に集中できてお金も貯まり、幸せになるみたいな方程式があるのかもしれない。
副産物としてそれは起こるかもしれない。
だけど起こらないこともある。
どう足掻いても何も変化が起きない時もあるのだ。
時が満ちれば、その時が来れば、自然と物事は良い方に流れ出したりするものだ。
最近思うのは、そんな時に大事な忍耐力、傍観力、諦念力というのかそういうものについて。
これら肩の力を抜く系の心の保ち方、私は素敵だと思う。
話がずいぶんそれた。
今日は徒歩で浅草まで来ている。
昨日は憧れの六本木まで電車で行って帰ってきた。(これといって特に何もしない笑。コロナで開いてないしね)
本当に、20代の頃とは東京の見え方が全く異なる。こんなに違うんだ、とその視野が変化した自分に対してもしみじみしている。
手の鳴る方へ。
流れに身を任せるのもけっこう勇気がいるものだ。
だけどきっとそこは今より楽しい場所。