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2020-08-18

図書館にはたくさんの人生の先輩がいる。

料理も人生も私の先生は本だった。

ひとりっ子のせいもあるかもしれないが、本好きの両親のもと本を読む機会には恵まれてきたように思う。

それでも途中、「本だったらなんでも買ってあげる」と言われ母親に一緒に本屋に連れて行かれても何の本も手にしない私を見てがっかりされたり

これ、と手にした本を戻してくるよう言われることに子供ながらに疲れてしまい、

本から離れた時期もあるにはあった。

その後再び自分から本を手にするようになると、面白くて面白くて仕方がなくたくさんの本を読んだ。

大人になった今、常に何かしらの本を読んではいるが学生時代のそれには到底及ばない。。

 

3年ぶりに図書館へ行ってきた。まずは利用カードの名字と住所を変更してもらい、更新手続きをするところから。月日は流れたもんだ。

紙の本を手放し、基本的にはKindleで読書を続けているが少なからず不満がある。紙の本より若干安いけれど、それでも毎回読みたい本を定価で買うとなると考えもの。

アンリミテッドコースがあるけれどかなり本の層は限られてるし、新刊は対象外だし。音楽のように完全定額制にするのは無理があるのだろうか。

立ち読みは当然限界があるし、書店の品揃えはお店によって偏りがあり、廃刊になってしまっている名著などは手に入らない。

古本を買って読んだら売る、でも良いのだけどその労力を考えるとさすがに面倒だ。

ってそんなに高尚な本を読んでいるわけではありませんが。笑

でも、この夏はいっぱい本を読もうと決めていた。外は暑いしそもそもあまり遊びにも行けないから。

その時残された選択肢は一つしかなかった。

fukuoka-city-library-atsummer2020

30分炎天下のもと自転車をこいでしこたま汗をかき無事到着。

図書館の雰囲気って良いですよね。どっしりとした建物の佇まいも、中に入ると空間が広いからか音が吸い込まれて不思議な静かさだ。

なんといっても、圧倒的な書物の多さ。古今東西の先達がちっぽけな私を受け止めてくれるようだ。このそこはかとない安心感がまたたまらない。

興味、知的好奇心の赴くままに棚と棚の間を移動しては本を手に取る。取っても取ってもまだまだある。すごい!

 

いわゆる人生の問い、に絶対の答えなんてない。

そこにはひとりひとりの考え方、感じ方、捉え方がただあるだけだと思っている。

それを、一冊の本を通して覗かせてもらうようなものだ。

一生のうちに、一体どれほどの価値観に触れることができるだろうか。

大学時代、ある講義で教授が「1冊の本(哲学書)を読み切れないことが多いという人は、偏屈であることを自覚した方が良い」と言ったことを今でもたまに思い出す。

それは教授曰く「本というのは、当然ながら至極主観的に書かれているものなので、著者の視点に本を読んでいる間だけでも入り込む忍耐力や寛容力、想像力が必要だからだ」と言っていた。

summers-sunshine

最近、本とネットの記事、個人がブログやSNSで発信していることの違いについて考えることが多い。

そこには「個人が自分の意見や主張を書いて述べている」という同じ行為があるのに、私は本の方が惹かれるし頭や心にもスッと入ってくる。

(って自分もブログ書いてるのですが。)

発信者の権威性みたいなものの違いとも思うけれど、なんとなくそれだけではないんだよなぁ。

私がネットよりも本に慣れ親しんでここまで生きてきたからだろうか。

本は出版されるまでに第三者の目がいくつも入るからだろうか。

ともかくこれからその境目は、ますます曖昧になることは容易に想像できる。

でも今日図書館へ行ったら、学生たちもいっぱいいたので妙に安心した。そう思う時点でもうおばあちゃん?笑 まぁいいさ。

books

どんなにPCのページをクリックしても、いくらスマホをスクロールしても何も響いてこない時というのがあるものだ。

ライターに外注させたコピペだらけのまとめサイトや、3分で分かる!と謳う字幕や図説入りの巧妙なYouTube動画、

狙った感満々のバスったらしい記事やツイート、おびただしい数のいいねが付いたインスタの投稿にいくら目を凝らしたところで、

私の問いはいつまで経っても宙ぶらりん。

そんなところでは今はきっと本物の一手は見つけられない。

そんな時は、子供心に戻って読みたい本をただ読もう。

食べたいものを気の赴くまま作るように。

friedchicken

Carbonara

gyoza1

gyoza2

心はガラスのハートだけど胃袋はガテン系です😉💘

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