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2019-08-18

続かなければ意味がない。料理=愛情の公式の罠。

昨日夜な夜な、こんな記事を読んでいた。

・『料理が苦痛だ』の本多理恵子さんに教わる「やめて」ラクになる5つのこと

料理が嫌いなら無理をせず、「プチ料理デットクス」をする。料理の下ごしらえ、主菜づくり、盛り付け・献立・彩りを考えることを辞めたらいいよ、という内容。番外編で、良い妻・母でいることも脱ぎ捨てたらいいよと。

さらに面白いのは、この記事に対するヤフーコメント欄だ。このタイトルの記事を読む人が書いたコメントだから、ほとんどが記事の内容に賛同するコメントだけど、やっぱり中には「料理こそが愛情の発露だ」「家族がかわいそう」「手抜き料理はそもそも料理上手な人が初めてできることだ」というコメントも見受けられる。

 

私はもちろん、この記事に賛同する派です。自分がやっている仕事と矛盾しているけれど、きっと多分この記事を書いた本多さんと似た考えなんだとは思う。彼女のことは何も知らないから多分、ね。笑

料理は嫌いではないけど、面倒だと思うことは当然ある。私ももやしのヒゲなんて取ったことない。「プチ」どころではなく完全な「料理デトックス」を決行する日すらある。それも度々。

それに、料理が愛情のバロメーターだとは私は思っていない。愛情表現には色々な方法があるから一概に否定はしない。ただ1つ決定的なのは「◯◯をしない=愛していない」という価値観の押し付けには断固反対だ。

 

昔々は、今のように豊富な食材、お惣菜、宅配サービスなんてなかったので、生きる為に料理の技術が必要だった。今とは時間の流れ方も異なり、時間がたくさんある人が多かったから、手間暇かけることが現実的に可能だっただろう。

良いか悪いか、今は全く状況が異なる。みんな忙しいし、買った方が安くて美味しいものが増えてきた。そんな中、一般人でわざわざ丁寧なお料理をする人はよっぽど物好きか、何らかのポリシーを持った人だけだろう。それはそれでいい。押し付けさえしなければ。

 

丁寧に作った料理は美味い。これは高級料理店に行けば明らかだ。でも一番大事なのは、現代を生きる人間が「生きる為」に毎日に即した、もっと効率的で生産的な料理を知ることだと思う。そうでなければ続かない。

調味料や食材にこだわるのも程々にしないと、まず経済的に続かない。それができるのは、お金と時間のある人だけだ。毎日会社の帰り道のスーパーで安定的に手に入る、ふつうの材料で、ふつうに美味しいものを無理せず作れる。これだけでも十分だ。もっと言えば、私はその中でより美味しくできる方法を、いつも探しているのだ。

 

自分の立ち位置を改めて確認した夏の夜。




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