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2019-08-18

厳しい親・毒親育ちの社会的メリットを知っていますか?

この記事をアップする日はいつになるのだろうか。それでもいつか、日の目を浴びせられたらと思う。なぜなら、万が一母がこのブログを目にした時、仕方ないとはいえきっとその心はギュッと水に濡れた布を絞る時のように、きつく固くなってしまうだろうから。

一方的な告発をしているという、私の罪悪感による記述とも言える。母は母なりに、私を愛してくれているのだ。ただその愛情表現が、人より不器用で、偏っているのだ。

〜2ヶ月前の下書きより〜

さて今週、半年ぶりに実家に帰省予定。久々に会うので、じわじわと不安定感に襲われ中。。この感覚がまた辛い。帰って来た後も辛い。滞在中は戦闘モードで大変な疲労。

でも、悲しいことにちょっと楽しみでもあるのだ。温泉、猫たち。たまには母と話が合う瞬間。宮城の澄んだ山、光、空気、風。。

いつも母と会う前は、気持ちがせめぎ合う。心の支えを作る為にも書き切ろうと思う。

タイトルの件、6つについて解説する。平和的な家庭で育たなかったからこそ身に付いた、社会的メリットのあるいくつかの性質。それがふつうだと思っていたけれど、みんながみんなそうではないと知れたからこそ気付けた、自分のいいところ。

① 余りある共感力

常に母の愚痴不平不満批判に寄り添わないと私の居場所はなかったので、自然と人へ共感する能力が養われた。ただ人へ共感し過ぎる弊害もあるので、使い方次第。

だけど基本的には、人に共感できることはコミュニケーションの第一歩であり、良いことが多いように思う。

② 食べ物の好き嫌いがなく大抵のものは美味しいと感じる味覚

出されたものを残そうものなら、永遠に「ごちそうさま」を口に出すことを許されなかった環境が、そうさせた。えづきながら飲み込んだ経験は数知れず。でもえづくと母が不機嫌になるので、涼しい顔で飲み込む術も会得していた。

朝食に出された母の好物であるイカリング(前夜の残り惣菜のギトベチャのやつ)をどうしても食べられなかった6歳当時、何度かこっそりティッシュに包んで捨てた記憶がある。

あの当時、毎食のように食卓に上がっていたような気すらする。体質的に朝からカツ丼的なものはキツいし毎食となると。。ちなみにイカリングは今も普通に好き。イカリングに罪はない。

大人になった今も体が受け付けないのは加熱したレバーのみ。でもこれも鼻をつまめば飲み込める。どんなに不味いものも水と一緒に飲み込めばいける。(この方法😂)

食わず嫌いは1つもない。美味しいの幅が限りなく広がった。ということは、それを誰かと共有できる機会も増えるということ。好感度はいつだってうなぎのぼり。求めてないけど。笑

③ 酒への愛

母もかなりの酒好きなので、娘からお酒に関してとやかく言われたくないようだ。だけど医学的根拠があれば、ぐうの音も出ない指摘がいくらでもできる。

そうされたくないので、娘にもあまりとやかくは言わない。気を付けなさいよ、とだけ言われる。流石に、紛れもない事実(数字のデータや医学知識等)には反論できないようだ。

お酒が飲めることによって、美味い食べ物×美酒で美味しさの世界がこれまた限りなく広がる。酔っている時間も至福の時だ。もちろん、容量用法は正しく守りましょう。笑

④ 1言われたら10を理解しようとする癖

指導者の言葉不足はさておかれる。言葉足らずな指示・命令は、その背後とその先にある10をこちら側が察し読み取り理解しなければ、頭が足りんぞと幼少期から怒られた。ブラック企業か。

おかげで社会に出てからはどんなに相手がふわふわとしか話していなくても、大体どういう意味か推測できる力がつきましたよと。やけに物分かりの良い人間の爆誕です。

だけどこれも、使い方を気を付けないと依存傾向のある相手はこちらに甘えてしまいコミュニケーションの怠惰を生むことになるので、これは酷過ぎるなと思う時は、きちんと指摘した方がお互いの為。

⑤ 行き届いた礼儀・マナー

挨拶とお礼の徹底、そして子供である私は地の底まで行っても謙虚でいることを叩き込まれる。

なぜなら子供が親の前に出て目立つことは親の自尊心を脅かし、また人様の前で失礼を晒すことは即ち親の評価に関わるから。

だけど今は平穏、円滑に社会生活を送る上でとても役立っている

⑥ 地元に固執しない自立心

母は強烈な学歴偏愛主義者だ。そして「海外留学」というキーワードに至極弱い。

留学こそしなかったが、ホームステイをさせてもらったり、海外旅行にも数回連れて行ってもらい、良い経験をした。当初大学進学に伴う引越しは、国公立ならどこでもOKという考えだった。私立はなぜか早稲田の一択であった。

 

結局私は一浪するも、偏差値並の東京と京都にある私立大と、日本の僻地(失礼)にある公立大にしか受からず。そしてこれまたなぜか「東京」はダメで「京都」なら良いということになり、進学を許された。今となっては、京都というブランドに裏付けされた思考だと分かる。

だけど自分の思い描いたような秀才娘にはならずとも、最後は不満足ながらも何とか私の現状を飲んで家を出してくれたので、感謝している。結果的に国内様々な場所に住むことができたし、私の世界と視野は広がった

これってもしかして…

まとめてみてふと思ったが、これって普通の家庭でも十分得られるのでは…?笑 まぁこの際、どちらでもいいや。大事なのは、起こったことに対する自分の定義付けだ。それ次第で現実は、良いことにも、悪いことにもなり得る。

その瞬間は悪いことのように思えても、捉え方、考え方1つで自分の成長に繋がるきっかけになる。「最悪だ」と、そこで思考が止まってしまえばそれで全ては終了だ。でもそれは楽なように見えても、長い目で見るとちっとも楽ではない。嘆きながらその後の人生を送ることになるからだ。

 

こんな風に思考の転換をできるようになったことが、もしかしたら一番の良いことなのかもしれない。こんな風に、人生や人間について深く考えることも、きっとなかったと思う。同じように苦しむ人に共感する心も、もちろん持てない。

最近は、こういう境遇に生まれた自分の理由を考えることが多い。ちょっとだけ見えない世界の話になり恐縮だが、人には生まれ持った役割が何かしらあると思っている。けっこう、前世や来世などの生まれ変わりも信じているほう。

そうでもしないと理由が付かないことがあまりに多いので。早死にしてしまった父だって報われないし。

 

きっと帰ってきたら、またしばらく毒抜き作業が続くだろう。いいのだ、これが私の人生なんだ。今に始まった事ではない。慣れたものではないか。

それで抽出できたライフレシピを、また細々とここで書いていくのだろう。自分の為に、そしてほんの少しでもいいから、誰かの役に立つことを願いながら。




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