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2019-08-13

美女が路上で泣きながら酒を飲む

先日酷く酔っ払った。地獄の底を這いずり回った、独りで。どんな状況か描写するのは双方の為に自粛する。後に残るのはただただ自己嫌悪なのだが、私もここまで堕ちるか…というある種の興味すら湧いた。

そこで1つの真理へと辿り着く。泥酔は、非生産的だという真理に。

ミニマリストを公言している私が、今更そんな単純明快なことを口にするなぞ、自分はなんちゃってミニマリストだと言っているようなものだ。まぁいいんだ、私はどうせなんちゃってだから。

 

泥酔の結果である二日酔いは、本当に非効率。翌日が丸つぶれだし(何ならその翌々日も)、薬やスポドリ、いざという時の為に買っているお粥パウチも消費するし、時間・お金・労力、このものすごく貴重なリソース3つ全てを使ってしまう。

この事実の延長には、健康は一番ミニマム生活へ近道であるというもう1つの真理がある。医療費がかからないだけか、痛い苦しいといった精神的ストレスからも解放される。

 

こんな当たり前のことに今まで気付かなかったのは、やはりそれは飲酒のメリットが光り輝いているからだ。酒の旨さ、肴とのマリアージュ、束の間の解放感、非日常。

だけど注意すべきは、酒はドラッグのように法的に禁止されている訳では無いので、ひとたび飲むなら容量・用法は自己責任下ということだ。

これを見落とし飲み過ぎるというのは、ある種病的だし、そこまでして飲むという自分の闇をどうしたって感じてしまう。

 

非生産的、非効率なことは好きではない。どうせならスマートに生きていきたいと常日頃思っている。でも、冷静に考えると私はそもそも今までそんな生き方をしているかというと、全くそんなことはない。むしろぼーっとする時間や、「無駄」から生まれる色んな他愛のないことも、好きだったりする。

する…けど、酒の飲み過ぎとはまた別次元の話だ。健康はミニマム生活への近道であることは揺るぎない。3つのリソースは有限だ。

私の酒への愛情は深いという自負がある。そんな素晴らしいお酒と、この先も末長く良いお付き合いをする為に、泥酔二日酔いとは距離を置きたい。

酔った時に、その人の本質が出るとはよく言ったものだ。ちなみに私は、泣いたり怒ったり説教垂れたりするタイプではないことだけは、自分の名誉の為に書き記そう。笑 陽気になって笑い上戸になるタイプ、なはず。

傾向としてはひとりで飲んでいる時に酔い潰れることが多い。友人と楽しくて飲み過ぎることももちろんあるけれど。地獄を見る程飲んでしまうのは、大抵ひとり飲みだ。

 

去年だったか、すっかり日も暮れた頃家の近くを歩いていたら、長身美女がひとりで缶チューハイを歩きながらしかも泣きながら飲んでいる光景を目にした。思わず二度見してしまった。こんなロックな光景には中々出会えない。彼女がそうするに至った背景はもちろん何一つ知らないし、その後どうなったかも知る由もない。

だけど私は、自分の頭で何も考えることなく受け売りのNaverの名言まとめにあるような言葉を口走りながら順風満帆に生きてきた人間より、

酸いも甘いも知っている自分の頭でショートする程何かを考え、抽出したその言葉で何かをも語れそして行動できる人間の方が好きだ。

自分で自分を傷付けるまで、何かを追い求めるのは程々にした方が良い。一方で、時には自分が腹の底から納得できる何かに突き当たるまで、走り続けることも必要だと思う。

その何かは分からないし、おそらく走り続ける時はなぜ自分が走っているかそれすら気付かないものだけど。落ちるところまで落ちたら、あとは上るしかないという物理的事実には、一抹の希望が含まれている。

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