【自戒】「ありがとう」の安売り。感謝アピールの謎。
感謝が大切とよくいわれている。感謝すれば、運気が上がり、人間関係もよくなり、結婚できて、収入が増えて、子供ができてパートナーから愛されるとか色々良いことが起きる。だから感謝しましょう。感謝の気持ちを忘れてはいけません。
おそらくこの「だから」という接続詞の為に言っている「ありがとう」が、悲しいことに口先だけの「ありがとう」になってしまうのだと思う。
それ故私は、全面的に「全ての人、物事に感謝!」と過度にアピールしている人が苦手だ…いや、本当に心からそう思っているのかもしれないけれど、それをゴリゴリ前に出す必要性があるのか以前から謎だ。
どうしても、それらを声高々に主張する理由は、上記の「感謝すれば良いことが起きる」と自分のメリットの為に感謝しているのではないかと邪推してしまう。
ところで私はというと、感謝することで良いことが起きるとは特段紐付けていないが、感謝の気持ちを持たずに驕り高ぶる人間には絶対になりたくないと思っている。
口先だけの「ありがとう」は、目と声色で案外分かる。なぜなら私も、ストレスや疲れが蓄積してくると、人に心からの「ありがとう」が言えなくなるからだ。
これに気付いたのは昨年OLを辞めた後だ。かなり疲弊していた私は、例えばお店や病院で、引きつった顔でしか感謝の言葉を言えなくなっていた。ありがとうございます、と言いながら常に別のことを考えていた。
ギリギリ、親しい人にはちゃんと「ありがとう」が言えていたけど、きっとあのままだとそれすら危うくなったと思う。
その経験から、自分に余裕がない人は感謝の気持ちが持てないのかもしれないと思うようになった。感謝アピールする人は、本当は自分だけでいっぱいいっぱいだから、感謝の気持ちを忘れないように自分を戒めている、という面もあるのかもしれない。
今の私は精神的に風通しが良くなったので、どこに行こうと誰に対しても、本当の意味で有難いと思ったら笑顔で「ありがとう」が言える。
たまに、「いえいえ、こちらこそありがとうございます。」と返されるとハッとする。ありがとうの交換は素敵だ。でも、私はありがとうを安売りしていないだろうか、と振り返る瞬間でもある。