【読書感想文「極北」】性悪説に一票。ミニマリストへ投じられる一石。
久々に、本当に久々に長編小説を読んだ。
あまりの衝撃だったので、僭越ながら感想を記します。本好きの方々の足元にも及ばないけど、本好きの端くれとして世界の片隅にアップさせてください。
【極北】
◆著者:マーセル・セロー/訳:村上春樹
◆出版社:中央公論新社
村上春樹がこの原作を読んだ時に「これは僕が訳さなくっちゃ。」と思った一作とのこと。
この本との出会いのキッカケは、春樹繋がりではありません。忘れもしない3年前、私がまだ仙台でOLをしていた頃に遡ります。県庁の食堂が一般開放されており、お昼休みに仲間と一緒にランチを食べに行った時のこと。
大勢のお腹を空かせた人々の中、ひとりのおじさんが文字通り独りで、定食を食べながらこの本を食い入るように読んでいる姿が視界に入るや否や、私は一瞬にして目を奪われました。ご飯を食べながらのその真剣な眼差し、集中力。しかもその本は結構分厚い。
わざわざ職場にまで持って来て、その上お盆とか運ばなきゃいけない食堂にまで持ち込み、どんだけ面白いの?!とかなり興味を惹かれました。
幸いブックカバーをされていなかったのでタイトルをチラッと盗み見し記憶。後日調べるとそれは私の好きな村上春樹訳の小説だった、という経緯です。
すぐにAmazonで購入するも、なんと実際に読破したのは購入から3年以上経過したごく最近。。幾度とない断捨離をくぐり抜けてきたツワモノです。その度に、今はまだ読む心の余裕がないけどこれは絶対に読破する!と心に決めていました。捨離らなくて本当に良かった。
走り書きます。
現状、人間は性悪説が有利だと考える。空腹の状態で生まれてくる為。でもこれはそれ以上でも以下でも無い。ニュートラル。
人がいない都市は半ば神が創ったように見える。なんか分かる気がする。
一貫して死の描写がとことんドライ。正反対である生、命の描写も、ドライというか無いに等しいのに物語の最後の核をなすという大胆さ。それなのにしっかりと意味をなしているという驚き。
文明飽和状態から逃れ、わざわざ辺鄙なところに暮らす人たち。そしてその逆の立場からの視点、「なんでわざわざこんなところへ?」。ミニマリストを豪語する今の私には考えさせられることの多いこと、多いこと。
そして結局は世界に最悪の事態が起きる。
途中残酷な状況が多過ぎて、その絶望感に苦しくなり読み進めるのが憂鬱だった。
そうは言いつつも、メイクピースのタフさに連れられてほとんど1日で読了。そう、彼女がとことんタフでドライで、でもほんの少し、だけど本物の優しさとユーモアを持ち合わせているからこそ最後まで読めた。個人的に彼女には好感しかない。メイクピースかっこいい。
この本を読んだ後に、今の国際情勢に関するニュース(北朝鮮をはじめとする中国・韓国、対するアメリカの動向、
EUのあれこれ、人を救うはずの宗教が大元の原因であちこちで起きるテロ、いつだって実際これといって何をする訳でもない日本と、
地球規模の原発・環境問題等々々。。。)を見ると、途轍もない虚無感。言わずもがな福島とチェルノブイリにも……
何十年、何百年先かは分からないけれど我々の行き着く果ては、「極北」の世界だと直感してしまう自分がいるせいだ。
あんな世界に行き着くとしたら今繰り広げている闘争はやっぱり子供の喧嘩でしかない。各々の主張をまかり通したいという欲求に対して、あまりにも代償が大き過ぎる。
マーセル・セローはこれを日本の3.11の前に書き上げている。それを考えると、この小説はフィクションだけどきっと全ては起こるべくして起こるのだと私も思わざるを得ない。
故に今問題となっているニュースが滑稽に見えてきてしまう。浅はか極まりない。だからといって私は何でも無い取るに足らない存在なので、誰もが納得をする解決策を持っている訳でももちろんないのだけど。
ないんだけども…
メイクピースは言う「人間には二面性がある」。「人は満たされていないと、いとも簡単に獰猛になる」。しかし「それ以上でも以下でもない」。彼女に言わせるとそれそのものが人間、ということなのだ。
全くの同感。
この世界観は一度読んだら体に染み付いてもう元には戻れない。